アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

ストレンクスへの誤解

こんばんは、鍵野です。
今日8月19日はバイクの日なんだそうです。アドラー心理学の勉強会などで福岡に行って帰るとき、好んで峠道を走るんですが(軽四のミラですけど(笑))、連休で天気が良ければ必ずと言っていいほどバイクツーリングを楽しむ人たちがたくさんいらっしゃいます。若い人ばかりではなくて、中高年ライダーもたくさんいて、「いいなぁ…」と思わないでもありません。


鍵野もバイクが好きで、車より先に、最初は原付ですがスズキのガンマ50に乗って、それから中免を取ってヤマハのR1-Zという2ストのバイクにしばらく乗っていました。他にはヤマハのセロー、その後150ccのスクーター(思い入れが少なかったのか、なんていうスクーターだったか忘れました(笑))に乗ったのを最後に、バイクから遠ざかっています。もう30年くらい経つかなぁ…。


車とはまったく違う感覚なんですよね、カーブで横Gがないあの感じがねぇ、いいんですよね。それに車に比べて圧倒的に軽いので、ものすごい加速力で、ゼロスタートから一気にスピードが増していくあの感じは、それなりにハイパワーの車にも乗りましたけど、バイクに比べたらゆっくり歩いているような感覚で、とても比較にはなりませんでした。


とはいえ、こけたときのリスクを考えると…、子どももいましたしねぇ…、やっぱり死亡事故も多いし、大怪我したり、半身不随になったりと、全然珍しいことではないので、それで乗らない選択をしてきたわけです。


今なら、子どもはもう大人だし、独り身だし、乗りたいなら乗ってもよさそうなものですが、でもねぇ…、年甲斐もなく乗りたいのはレーサーレプリカなんですよ(笑)。思いっきりレーシーなやつ、YZF-RとかGSX-Rとかの小排気量のが好みで。竹田から久住、小国と抜ける道を走ったら気持ちいいだろうなぁと…


でも、そうそう、今日、ドライバー歴何十年で初めてかもですが、すぐ目の前で車対車の事故発生の瞬間を目撃したんです。右折する軽トラと直進する新型プリウスとの右直事故だったようですが、強い雨も降っていました。車間距離を割と広めに取る運転をしてたのでよかったと思うんですが、大きな音がしてそちらを見たら軽トラが独楽のようにクルっと一回転していました。こちらは急ブレーキをかけて、多少スリップしながら、巻き込まれずに止まれたのですが、道路には軽トラの破損した部品が散らばっていました。プリウスの運転手さんは交差点を過ぎたところで止まって右の窓を開けて振り返るように軽トラの方を見ている。しばらくして軽トラからおじさんが出てきて、プリウスの方に歩いていく、どうなるんだろうと見守っていたら、頭を深く下げながらプリウスに近づいている。ここで、そうか、軽トラの方が悪いと自分で思って謝っているんだな。歩いているくらいで身体は大丈夫そうでよかった。あれだけ車が回ったのがよかったんだろうなぁ、真正面でなく、角と角でぶつかったんだ。四車線の広い道だし、けが人もいなそうだし、自分たちで警察に連絡するだろうから、行ってよさそうだな、と判断して、その場を後にしました。その後、用事を済ませて、1時間後くらいでしょうか、再び事故現場を通りかかると、パトカーが何台か来ていて、事故処理をしていました。プリウスは、右前が破損してタイヤに干渉しているようで自走は難しそうでした。


あれがバイク対車だったらああはいかないはずです。バイクに乗ってる人の怪我は免れないと思います。


うーん、やっぱりバイクはやめよう(笑)。カウンセリングできなくなったら困るし。ミラの忙しいシフト操作でのドライブで満足します(笑)。


と、例によって関係のない前置きが長かったんですが、今日は、ストレンクス(ストレングス)、強みについて考えてみたいと思います。というのも、前にも書いたかもしれないんですが、アドラー心理学で言うストレングスについて、何人かの方から似たようなコメントをいただいて、それがアドラー心理学どっぷりでそこから見るのが当たり前になっていた鍵野からしたら、えっ?という新鮮な驚きがあったからです。


鍵野は、カウンセリングで、相談に来られた方のストレンクス、強みを一緒に発見して確認していくことをとても大事にしているんですが、アドラー心理学を学びこんでいけば、相手のストレンクスをみつける練習をさんざんすることになるので、みなさん上手になります。それでも自分のことは見えづらいので、自分のストレンクスをみつけるのは苦労される方が多いです。なので、カウンセラーがリードしながら、こんなのもありますね、これも強みですよね、ここも、あそこもと、極端な話、その方が語ること全部に強みが表れていると言ってしまえるくらい、たくさん出していきます。否定できるものなら否定してみてください(笑)、という感じで(そこまで強く言いませんが)、違ってると思ったら言ってくださいね、というと、みなさん半信半疑ながら、否定はされません。そーなのかなぁ…、という感じ。


それでももちろん根拠なしに言っているわけではなくて、こちらがでっち上げたわけではなく、あくまでも相談者さん自ら語ってくださったその語りに表れていることを、「これって~という強みがあるということではないですか?」という感じで確認しているので、「そんな風に捉えることができるんだ…、そう言われればそうかもしれない」と賛成の方に多く傾いてくださるようになることが多いです。


例えば、「そのとき、白いカーテンから柔らかい光が差してきて…」と語ってくれた人がいたとして、その人に「色を意識できているとか色彩感覚が鋭いとかそういう強みがあるのではないでしょうか?」とか「見るとか観察するということへの強みがあるのではないでしょうか?」とか「肌感覚、柔らかさとか硬さとか、そういった感覚への強みがあるのではないでしょうか?」とか「光の強弱、変化とかそういうことへの感覚が鋭いとかそういう強みがあるのではないでしょうか?」とか「環境が変化することに伴って時間が経過していくことへの感覚が鋭いとかそういう強みがあるのではないでしょうか?」とかこの短い文章だけからも、アドラー心理学カウンセラーであれば、ストレンクス、強みの候補をたくさん提示することができます。

 

当たっているかどうかはわかりませんが、違っていたら取り下げればいいだけの話で、相手の反応を見ていればわかりますし、特に濃い強みは、何度も何度も繰り返し繰り返し登場してくるので、そこからわかるはずです。


アドラー心理学でいうストレンクス、強みはその人の行為、言動に表れているので、それを丁寧に観察すれば訓練はいりますが誰でもみつけることができます。本当は、相談者さんご本人も知ってはいるんですが、たいていそれに別の名前をつけて知っているんですね。


例えば、「慎重さ」というストレンクスに、「優柔不断」という名前をつけていたり、「行動力がある」というストレンクスに、「おっちょこちょい」という名前をつけたり、「好奇心旺盛」というストレンクスに、「飽きっぽい」という名前をつけたりしています。弱みにフォーカスしたネーミングですよね、これって。


同じ行為を上から見るか下から見るかの違いだけです。弱みは使えないので、そんなネーミングは捨てちゃってください。決して役に立ちませんから(やらないことをできないことにするための言い訳には使えますが…)。でも、それを強みとして見ることができれば、自分のため相手のためみんなのために使うことができるようになります。


そういうのがアドラー心理学でいうストレンクスの意味なんですが、「えっ?という新鮮な驚き」というのは、どうもアドラー心理学の外の世界では、ストレンクス、強みを、能力が普通と比べて優れているときに限って使う言葉のようなんですね。


へぇ~、知らなかったぁ(そんなはずないけど(笑))、と思うくらい、どっぷりアドラー心理学の世界にハマっていたということなんでしょうけど、そうなんですよね、そういえば。「私にはこんな強みがあります!」と宣言するためには、物差しが必要になってくると。


でもね、他の人と比べるなんてナンセンスです、意味ないです。品評会でもやっているなら別ですが、ストレンクスって、要は生きていく力のことですよ。その人が生きていく力、目の前の人を助けて共に生きていく力、周りの人と助け合いながら生きていく力、具体的にある日ある時あるところで誰かのために使われる力のことです。


なので、「いやぁ、自分は大谷選手と比べたら背が低いし…」なぁんて全然意味がなくて、高い戸棚にものを仕舞うのに困っている小柄な奥さんにとっては、あなたが自分ではたいして背が高くないと思っていてもそんなの関係なくて、十分役に立つことがあるんですね。


一流レストランのコックさんに比べたら下手くそだったとしても、あなたの料理で十分食卓を笑顔にすることはできますし、そもそもいまそこにいるのはあなたしかいないので、あなたの料理ができるというストレンクスは、家族に貢献できるとっても価値の高い強みなわけです。


そうやって、それぞれの持っているストレンクスを持ち寄って、協力しながら、なんとかかんとかサバイバルしていく、できれば仲良く楽しく暮らしていくことが大事なのであって、一緒に働くわけでも暮らすわけでもないどこかの誰かさんと能力コンテストをして、勝ったの負けたの、上だの下だのって、一喜一憂して大騒ぎするなんてひどくアホらしいと思いませんか?


だから、あなたのできることは、他人と比較する必要なく、即、強み、ストレンクスなんです。どこかの誰かさんの能力があなたより優れていたとしても全然関係ありません、だって、あなたにはあなたの力しか使えないんだし、あなたの大事な人、あなたの周りの人にとっても、いまここで期待できるのは、あなたの力だけなんですから。


そうやって、小さな頃から他人と比較することなく、その子ができることを丁寧に一緒に確認していって、実際にその力で貢献してもらって、一緒に喜びながら育ってきたら、その子はどんな人に育ってくれると思いますか?


きっと、大谷さんのようにはならないでしょうし、オリンピックに出るようにもならないとは思いますが、でも、その人なりの持てる力を発揮して、周りに貢献的に関わりながら周りの人を幸せにして自分も幸せを感じて暮らしていける大人に育ってくれると思われませんか?


我が子を、なんとかグランプリとか、オリンピックとか、なんとかコンテストとかで優勝させたいのであれば、ひょっとしたら他人と比較して尻をたたいていくのが有効な面もあるのかもしれません。


でも、ほとんどの親は我が子に世界一になって欲しいわけではなくて、ただただ幸せに暮らしていって欲しいと願っているのではないでしょうか。


もし、我が子の幸せを願うのであれば、手っ取り早いのはあなたが、親がアドラー心理学を学ぶことだと思います。アドラー心理学を学んで、我が子のストレンクスをみつけて伸ばして、そこからの貢献に感謝して暮らしていけば、もうお子さんの幸せは確定したようなものだと思います。そんな子どもの幸せに協力できたあなたも幸せでないはずがありません。


ぜひ、人が人を道具にしない世界の実現のために、戦争がない世界の実現のために、具体的な方法を持っているアドラー心理学を学んで、日本の子どもたちに未来の子供たちにもアドラー心理学を伝えていくことに力を貸してください。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。