アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

小林市での講演会、やってよかった!

おはようございます、鍵野です。
日向灘での地震から何日か経ちました。おかげで南海トラフ地震が起きたとしたらどうしたらいいのか? あらためて準備しておくいい機会になりました。


歩いて数分で海というところに住んでいるので、とりあえず怖いのは津波です。なので高いところに逃げるわけですが、そこは毎年避難訓練だったり、大掃除だったりで行くところで、場所はわかっています。7~8分あれば行けるところです。夜中だったり、建物が倒壊して道に障害があったりすると、時間がかかるかもなので、15分としておきましょうか。


何を持っていこうか?… よりもまず確認しなきゃなのが、持ち時間はどのくらいあるのかでした。そもそも逃げる時間がなかったら持っていくものの心配をしても仕方ないですし(笑)。で、調べたら1mの津波到達に40分くらい、最大の津波到達に50分あるとのこと。よかった!40分あれば、着替えて持ち物用意して、近所の母と伯母にも声をかけてから、避難場所へ行くことができそうです。


もう家は流されてしまうという想定をしておきます。だから家に食料備蓄しても意味ないだろなぁ…と思わないでもないですが、でも、震源によっては、家は大丈夫だったけど輸送網が寸断されて、物資が届かず、あるもので凌ぐという生活がしばらく続くことも考えられるので、やっぱりある程度置いておいた方がいいんでしょうね。


まぁそんなに意識せず、ペットボトルの水は多めにおいておいて(賞味期限切れでも飲めるというし)、食料はローリングストック法で、食べて補充してを繰り返していけばいいかなと思っています。


日向灘地震活動がこの間の震源から南東方向に移動して活発になっているようで、それが空白地域と言われてるところでの大地震に繋がるという予測がされているのを動画で見ました。これは南海トラフではないですが、宮崎県、宮崎県よりちょっと北の大分県佐伯市にとっては大ごとですし、また、その影響で南海トラフ地震につながる可能性もあるという話でしたから、本当に油断できません。


かといって、そんなに恐れてもですね、いつ来るかは誰にもわからないし、日本列島に暮らすということは地震と共に暮らすということでもあるわけで、お互い助け合って、協力して暮らしてきた日本(にいる)人同士、これからも助け合ってなんとかやっていきましょう。地震が来ても来なくても誰でも間違いなくちゃんと死にますから(笑)、いつかは。


それでアドラー心理学の話なんですが、先日10日の土曜日に宮崎県小林市でアドラー心理学の講演会のお仕事をさせてもらいました(それこそ行きも帰りも、もし今地震が来たら車を置いて山の方に走るか…なんて考えながら日向の海岸線を通ってきたんですが、こんなときでもサーファーがたくさん波乗りをしていました。凄い(笑))。

 

すこっぷハウスという、地元の篤志家が市に寄贈された立派な一軒家が会場で、地域の方の憩いの場として活用されているそうです。大変居心地のよい落ち着く会場でした。

 

定員20名のところそれを上回る参加希望者がおられて、当初、抽選でという話だったそうですが、せっかくなので、座席間隔を詰めながら、スタッフのみなさん含めて29名の方に、鍵野の話を聞いてもらうことができました。


クーラーの能力を超えた熱気ムンムン(笑)の、会場で、質疑を入れて1時間半があっという間(話してる方からしたらですが(笑))で、楽しく充実した時間を過ごせました。


「勇気づけ」という大きなテーマはあったのですが、何を伝えようと考えていて、結局、アドラー心理学の理論をエッセンスというか予告編的な感じでしたが、伝わる人には伝わるだろうということで、手加減なしに(笑)ぶつけてみました。


できるだけ多くの人に何かを持って帰ってもらうというよりは、一人でも…、いや、一人じゃ学び合えないから、二人の人に届けばいいなと。頭ではなく、その人全体でアドラー心理学のお稽古を始めてみたいと思ってくれる人が、この小林市に出てきてくれたらいいなぁ…という思いでお話させてもらいました。


アドラー心理学は昔も今もマイナーですが、でも、マイナーなのには理由があって、この現代の競争社会への自分さえよければいいという社会へのアンチテーゼだからそれは仕方ないことであって、だからこそかえって少数の本気の人が現れるんだし、アドラー先生を始めとする、本気の人たちの献身によって受け継がれ学び継がれてきた、人類の希望の灯だと思っています。

 

野田先生に初めてお会いして、アドラー心理学の理論と思想を学んだとき、本当に、これでようやく何を学べばいいのかの旅が終わったと思いましたもん、あとはひたすらこれをやるだけだと(…と言いながら、前にも書きましたが、アドラー心理学の学びを深めていく中で、仏教、お釈迦さまの教えに出会って、これこそ究極だ、アドラー心理学の先があったのかと衝撃を受けたのではありますが)。


鍵野の好みとしては、1時間でも2時間でも質疑をしたいところなんですが、そうもいかないのと(笑)、1時間で理論を伝えようという無茶な設定をした結果、質疑の時間は20分ちょっとになってしまったのですが、それでも話をしっかり聞いてくれたからこその真剣な質問を5人の方(だったと思います)がしてくださいました。嬉しかったです。ありがとうございました!


まず、アドラー心理学は真理ではないけれども、もし今不幸なのであれば、アドラー心理学の考え方見方を採用すれば、幸せになるかもしれません。鍵野はそうでしたし、もうできてから100年以上の歴史のあるアドラー心理学を学んできた多くの方もそうだと思います、という話をしました。で、世間一般の考え方見方はこうですが、それに対してアドラー心理学はこう考えてこう見ますというのを野田先生から教わった5つの基本前提という理論で説明しました。


そこから、人格理論としてのライフスタイルの説明をして、自分にとって相手の行動がどんなにイヤなものであったとしても、それはその人が所属を目指して、あなたと仲間になろうとして(たとえ喧嘩相手という仲間でも)、小さな頃から訓練して身につけてきたライフスタイルというその人のサバイバル戦略に沿って行動しているということであって、それは本来善意なんだという話をしました。


人は無視されるよりは、ここに自分がいるということを示すために、自分や他人に乱暴をしたり、邪魔をしたり、あなたがその人を無視できなくなるような行動をします。


もし、あなたがその人の仲間になれれば、その人に、乱暴をしたり、邪魔をしたりしなくても、あなたは私の仲間なんだよと信じてもらえるような働きかけができたら、そうしたら、その人は、もう乱暴をしたり、邪魔をしたりする必要がなくなります。それでも人は人と関わって行動し続ける生き物なので、何か行動するわけですが、その人は、乱暴をしたり、邪魔をしたりといった、いわゆる破壊的な行動ではなく、人のためになる建設的な行動を選ぶようになるのではないかなと、アドラー心理学はそう信じているというような話をした(つもり)です。


あえて「共同体感覚」という言葉は一度も使いませんでした、気づいたら。なんでかな? でも、ずっと質疑も含めてそのことを伝えたいと思って話していたので、何か伝わったのではないかなぁ、そうだっらいいなと願っています。


九州内であれば、呼んでいただければ基本的にどこでも行きます。お時間も内容もご予算もできるだけご要望に沿いたいと思っています。場合によっては、「旅費も謝金も出せません、でもこういう人が(ご自分も含めて)こういう事情でアドラー心理学を学びたいと願っているんです」、という話に納得できたら、喜んで伺いますので、どうぞお気軽にお声がけください。


鍵野はアドラー心理学に救われました。アドラー心理学を学んでいなかったら、どんな不幸な暮らしをしていただろうと…想像したくないくらいです(収入は桁違いに増えてる気がしますが(笑))。少しでも恩返ししてからこの世を去れたらいいなと願っています。


読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。