おはようございます、鍵野です。
昨日、九州北部、大分県も梅雨明けしたとみられると気象庁からの発表があったようですが、今朝も朝からクーラーに活躍してもらっています。みなさま熱中症にはどうぞ気を付けられて、水分補給もしっかり、今日もできることをやっていきましょう(で、朝からブログかい(笑))。
時給は下げてないけど収入はレーダーをかいくぐれるくらいの低空飛行を続けている鍵野です。ということは、大金持ちならぬ大時間持ち(笑)。まぁとりあえず食べていかれてるから、よしと安心しています。この安心というのはしっかり将来の見通しがあるという意味では決してなく、お釈迦さまでも未来はわからないのだから、今から心配してもしょうがないという、人様の経営計画を指南して収入を得てきた人にあるまじき言い草ではありますが、でも、それが正直なところです。もちろんこうなったらこうなる式の論理で、シミュレーションとしての見通しはあることはありますが、まぁ、結局は「たられば」の話で、南海トラフとかテロとか戦争とか、隕石が落ちてくるとか、何があるかはわかりませんもんね。
結局わかっていることは、人間、いや人間だけでなく、すべての生命は必ず死ぬということだけです。いつかはわからないけど。
野田先生がある音声ライブラリ(AIJで販売しています)でおっしゃってましたが、3週間後に死ぬと仮定して、何がしたいかリストアップしてみるといいと。そうすると、今すぐやっておいた方がいいことがわかるんですね。だったらやってしまいましょうと。で、それをやってしまったら、死ぬのが3週間先だろうが明日だろうが、今と同じことをしているんだろうなぁと納得できたら、死ぬのも怖くなくなるでしょうと。
そう考えると、あの人に謝っておきたかったと思うことがいくつか浮かんできます。大昔のことなので、相手にしてみれば思い出すのも嫌だろうし、自己満足に過ぎない気もして、勝手に懴悔することにしておきますが、そういうのを除けば、3週間後に死ぬとわかったとしても、たしかにあまり変わらない日常かもしれません。お客さんがいれば、カウンセリングしてるでしょうし、一回で終わる案件であれば、コンサルティングもしてるでしょうし、ブログも書くかもしれません。
あっ、でも、最後のチャンスだと思ってヴィパッサナー実践に全振りするかもしれませんね。今より少しでも心をきれいにしてそのときを迎えたいですから。だったら、今すぐその覚悟でやればいいやん!と言うことなんですけども(笑)。明日と言わず今日死ぬかもしれませんものね。
そうだ! やりたいことありました。じつは昨日から、読み始めた本があって、これだけは最後まで読みたい。もう本は買わない、仏教とアドラー心理学に限っては、どうしても必要な本は買うという方針で、かなりの本を処分したんですが、例外的に買ってしまいました。"DON'T SLEEP, THERE ARE SNAKES LIFE AND LANGUAGE IN THE AMAZONIAN JUNGLE" DANIEL L.EVERETT著です。せっかくなので原書で読んでますが、邦訳もあってタイトルは『ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観』です。
YouTubeで紹介している動画を見て、読むしかないと思いました。言語人類学者である著者のエヴェレットが、キリスト教伝道のために、ピダハンという400人ほどの部族と共に生活することになって、それにはピダハンの言葉がわからないとキリスト教を伝えられないわけで、でも、ピダハンはモノリンガルで通訳はいないので、自分でその言語をわかる使えるようにならないとということから言語人類学をツールとして学んだんですね。それで奥さんと子供3人も連れてアマゾンのジャングルで暮らす中で、奥さんと子どももマラリアにかかって死にそうになったりしながら、ピダハン語が使えるようになっていき、彼らと話す中で、なんとミイラ取りがミイラになってしまい、ピダハンの世界観に逆に説得されてしまって、神への信仰を捨ててしまったんですね。
イエスの教えを伝えようとしたら、「お前、会ったことあんのか?」「ない」「会ったこともないのになんでそいつのことを信じてるの?」と。ピダハンの人たちは自分の見たこと、あるいは仲間が見たことしか信じないのだと。そして、彼らの言語には「心配」とうい言葉がないそうです。あらゆることは自分に起きてから考えればいいことなのだと。なので死も恐れていないんですね。まだ体験していないから。そして今までなくても問題なかったものに頼らないんだそうです。今が一番幸せで満足しているから、余計なものはいらないということで、たくさん魚が捕れたとしても、明日のために置いておくという発想はないんだそうで、その日のうちに全部食べちゃうんだと。
ピダハンの人たちにカウンセリングは要らないですね(笑)。ほとんどお釈迦さまの教えじゃないかと思うくらいです。今だけが現実で過去も未来もないという。
まだ読んでないところですが、別の、エヴェレット自身が登場するドキュメント動画を見て、わかったことですが、ピダハン語には「再帰」の構造がないんだそうです。ピダハンの今だけの世界観に通ずるものだと思いますが、これ、チョムスキーの普遍文法に反する事実なので、エヴェレットの発見は言語人類学会の重鎮らに否定されもみ消されそうな状態のようです。どこにでもある話だと思いますが、科学者もビジネスマンになって真理よりもポジショントークに徹するようになるんでしょうね…偉くなると…全員ではないでしょうけど。それで、エヴェレットはもう二度とピダハンの村に入れないんだそうです(はっきり誰かが手をまわしているという証拠はないんでしょうけども…)。そして、事実を上書きしようとしているのか、今あるもので満足していたはずのピダハンの村に、発電機とかテレビとかが導入されて、やっぱりそれをピダハンの人たちも喜んでいる様子も紹介されていました。モノリンガルだったのに、ポルトガル語も教えられるようになってしまい…、これは鍵野の偏見と言えば偏見ですが、せっかく今だけで暮らせていた人に未来を心配させる人生を送らせるのは、ひどい文化干渉、お節介だと思うんですが… 末端で動いている人たちは善意の塊なんでしょうけども。
死を恐れていない人たちがいて、死を恐れている我々がその死を恐れない人たちの死亡率を下げることができる知識や技術を提供できたとして、ついでに心配、不安といった、まだ現実ではない未来への備え、死への恐怖も教えてしまうことになるとしたら、それは善行為なんでしょうかね? だって、人は必ず死ぬんですから。それを知っていてそれでも楽しく笑顔で暮らせていた人たちの寿命を延ばしたところで、心配、不安に塗り固められた人生を伸ばしてもしょうがないでしょうにって思ってしまいます。
ただ、著者のエヴェレットは、それでもピダハンはそんなに弱くない、変わらないと信じていると動画の中で言ってました。そうであることを、ピダハンの人たちの幸せがこれからも続くことを願っています。
さぁ、続きを読もう。楽しみ!
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。