アドラー心理学で一緒に考えてみませんか

アドラー心理学カウンセラーの鍵野が気になったことのあれやこれやを綴ります

仕事って

こんばんは、鍵野です。
今日は久しぶりにネクタイを締めて出かけました。まぁ7月だし、同席される方々はノーネクタイで、別にしなくてもいいんですけど、専門家モードというか(笑)、小道具の一つですね、役割を自覚するための。ネクタイをしない方の仕事が増えると嬉しいんですけれど、相手のあることですからね、押し売りはできませんし(笑)。ネクタイの結び方を忘れない程度で、いいバランスかもしれません。


今日は、仕事について考えてみたいと思います。子どもも大人ももともと仕事が好きなんですよね。ここでは、人の役に立つことをするという広めの定義で進めます。お金をもらうかどうかも関係なしで。


人はいつから仕事をしてるんでしょうか? お母さんのお腹の中でも、生まれてくるときにも、それこそ命がけで赤ちゃんも仕事をしてるんだと思いますが、まぁ、生まれてきてからに話を限定したとして、いつからだと思いますか?


たぶんおっぱいを飲んでいるときがスタートではないかなと。母乳育児限定の話になるかもしれませんが、赤ちゃんががんばっておっぱいを飲んでくれると、お母さんも張りが減って痛くならなくて済むということがあるんじゃないでしょうか? 残念ながらお母さん側の経験はないですけれど(笑)。


あれ、立派な仕事ではないかなと、赤ちゃんにとっても、お母さんにとっても。命を育んでいるという意味で一番大事な仕事の一つかもしれませんよね。


仕事の発生するところには必ずアドラー心理学が大事にしているキーワード「協力」があります。そして「貢献」も。仕事をする側から見ると、協力を必要とする人がいてくれるからこそ仕事ができて貢献ができるわけですね。そういう意味で仕事を依頼してくれている人に協力して助けているように見えて、じつはその人が自分に協力してくれて助けてくれているとも取れますよね。


一方的な関係ではないというのがポイントですね。勝手にやったらお節介になるかもしれないし、その人の仕事を横取りして迷惑をかける結果になるかもしれません。


じゃぁ仕事を求められるまで、協力を依頼されるまで待っていればいいのかと言えばそういうケースもあるでしょうけれど、こちらから何かできることはないかなと御用聞きをしてみてもいいケースもあると思います。


いい仕事をしていれば黙ってお客さんがついてくるという面もたしかにあります。たしかにあるんですが、それはいわゆる口コミの効果ですよね。そのお客さんも黙っていたら他のお客さんはその仕事がどんなにいいものでも知ることができませんから、自分から発信した方がいいこともありますよね。そういう意味で、私にはこんなことができるんですが、何かお手伝いできることはありますか?というアピールはある程度必要かなと思います。


協力をお願いする側の視点に立つと、相手のことをある程度知っていれば、あなたひょっとしてこんなこともできるんじゃない?と、相手に新しい仕事の打診をしてみることもできますね。そうやって贔屓のお客さんの仕事をこなしているうちに仕事の幅が広がっていくというのはよくある話です。


と、ここまであえて「仕事」というキーワードで進めてきたのは、お金のやり取りのあるなしに関係なく、相手が、家族、友人、知人、上司、部下、同僚、経営者、顧客、依頼主、その他なんであろうとも、アドラー心理学から見たら、互いに協力して仕事をし合ってこの地球上で暮らしていく仲間という意味で同じだなぁと思っているからです。


関係の濃い薄い遠い近い好き嫌い、はいろいろあるでしょうけれど、我々はお腹の中にいるときから死ぬまで他の人と協力し続けて暮らしていかざるを得ない生き物なんですよね。で、その協力の中身が「仕事」だと捉えれば、どんな人も一生涯働き者ですね(笑)。たとえ寝たきりで介護してもらう身になったとしても、そのおかげで仕事が発生しているわけですから(報酬の有無、快不快の程度はいろいろでしょうけれど)。


じゃぁ何もせずぼーっとしていても仕事かと言われると、そこは、やっぱり「貢献」できている感が必要な気がします。ぼーっとしていても、「ぼーっとしている人」の絵を描きたい人のモデルとしてぼーっとしているなら、貢献感はあるでしょうから立派な「仕事」ですよね。


では、犯罪行為に加担するのは「仕事」か? といえば、これは仕事なんでしょうね、やっぱり。貢献感もあるんでしょうし、仲間に対しては。


ということで、戦争のない世界、人が人を道具にしない世界の実現を目指しているアドラー心理学としては、そういう意味の「仕事」をしててもいいとは言わないんで、そこはやっぱり「共通感覚(まぁ世の中の多数意見)」と「共同体感覚」から判断して「貢献」できているかのチェックは必要と思います。親分には貢献できているけれど、地域住民に迷惑をかけるような行為はよくないということですね。


ただ、ちょっとややこしいのが、「共通感覚」に反していても、「共同体感覚」には反していない行為、逆に「共通感覚」に沿ってはいても、「共同体感覚」には反している行為もあり得るので、アドレリアンとしてはいつも世の中の多数派の言う通りにしていればいいんだとは言いません。


例えば、身だしなみとかですね、こういうことをする人はこうあるべきというスタンダードはあるんですが、それに反していたからといって、糾弾するほどのことではないよねとか。公務員が風俗店でバイトするのはあれだけど、民間企業社員ならいいのかとか。質問に逆質問で返すのはちょっとねぇ…と思っても、まぁそういう人もいるだろうし、その方がいいこともあるよねとか。


それから、いきなり重い例に飛びますが、死刑は日本人の共通感覚的に今のところ是なんでしょうけれど、「共同体感覚」的にはどうなのかなと思ったりします。いろんな意見があるところと思いますが。夫婦別姓とかもそうですよね。まぁ法律の問題は、そもそも慣習法というか、共通感覚が大事なところでしょうから、日本人が守る法律は日本人の共通感覚でいいじゃないかというのもたしかにと思うんですが、これだけ外国人の方と交流していくこと、それこそ協力して仕事をしていく世の中になったら、日本人の共通感覚で押し切れないところがたくさん出てきそうな気がします。鎖国して暮らせるだけの力はないと思いますし(お米も輸入した石油で田を耕しているからこそなわけで、あの自給率は嘘だと思ってます。牛馬の力では無理かと…そもそも家畜の飼料も輸入ですし)。


最後に、子どもに仕事をしてもらったなぁ、協力してもらったという具体例を、6年前のパセージの思い出、娘とのやり取りで紹介させてもらいます。


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<2018年6月6日>

娘(7歳小二):(登校の準備はだいたい終わっている。のんびりしている)

私:(今日はお客さんと会う仕事なのでネクタイをしていく。娘に選んでもらおうと思って)
  Rちゃん、あのさぁ、お父さんのネクタイ選んでくれないかな?

娘:あっいいよ~。私、ネクタイ選ぶの好き~(嬉しそう)(+1うれしい※ 私の感情)

私:ありがと。(一緒にネクタイを吊るしてあるところにいく)
  こういう青いスーツなんだけど、どれがいいかなぁ。

娘:(ズボンの色をよく見てから、ネクタイを見ている)
  たまにはピンクもいいなぁ。

私:今日、銀行の人と会うんだけど…


娘:銀行の人じゃぁ、ピンクはねぇ…(と他のを見ている)(+1 うれしい)
  これがいい!(と緑のネクタイをさわる)

私:これ?(自分では選ばないなぁと思いながらも取る)

娘:うん! 青と緑、似合うんで

私:そうなの

娘:うん

私:ありがと(とネクタイを締める)

娘:(ネクタイを締めるのを見ている)(笑顔で嬉しそう)
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読んでいただきありがとうございます。

みなさまどうぞよい夜をお過ごしください。


生きとし生けるものが幸せでありますように。