こんにちは、鍵野です。
昨日で仕掛りの仕事が片付いて、今日はのんびり過ごしています。朝から雨でしっとりした雰囲気の佐伯上浦です。雨と晴れでは心持ちが違いますね。いい悪いということではなく、雨の音を聞きながらなんとなくいつもより心も身体も重みを感じる気がして、当たり前ですが人間は環境に影響されているなぁと思います。
それで、バラバラに振れていた柱時計の振り子が、やがて同じ動きをするようになる現象があります。柱と柱が床を介してとかつながっている場合ですが。YouTubeに、何十個ものメトロノームが、やがて同じように振れるという動画もあります。面白いですよね。それぞれのシステムが共振して、大きな一つのシステムになっているんですよね(そう見れば)。久住の山で夜中に疲れて車で休憩していたら、蛍の大群が車に止まって、同じタイミングで明滅し始めるという幻想的な光景に遭遇したことがあります。これも共振というか同期(シンクロニシティ)ですね。運動会とか軍隊とかの行進で足並み揃う感じもそうかもしれないし、息の合った合唱のメンバーとして歌っているというような経験もそうかもしれません。お神輿をかつぐとか、お祭りとか、盆踊りとか、みんなで読経とかもそうかもしれません。
で、こんなとき、自分を超えた大きなシステムの構成要素としてそこにあるとき、人は何か「神」というのかハイアーパワーの存在を感じることがあるのかなぁと思いました。実際に、現象として共振とか同期ということは存在していて、時計でもメトロノームでも起こることなんだけれども、それを人は超常現象のように感じるのではないかなぁと。
アドラー心理学で言えば、野田先生の異端説「絶対的全体論」もそういう現象から見ると、実際にあることのようにも見えます。個人と他人の間の葛藤も、みせかけに過ぎなくて、本当は全体に調和して動いている、そこには葛藤はないという見方もですね、成立しているように見えることはあるなぁと。
そこからさらに、ヒンズー教とか大乗仏教もそうではないかと思っているのですが、何か全体の本来の心のような超越した存在、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ、大日如来でも阿弥陀如来でもいいのですが、統一され本来の存在があって、そこから迷いによって、個々の心があると錯覚しているだけだというような、信仰も、同じような現象を人類が体感してきたからこそ現代まで根強く残っているのかなぁとも。
一度、仏教のお師匠様のスマナサーラ先生に質問したことがあって、そんなとき大きな心の一部になったような気がするけれど、これは仏教ではどう考えたらいいのでしょうかというようにお聞きしたら、心と心が「共鳴している」んだというように教えてくださいました。ひとつひとつの生命にひとつひとつの別の心があるんだけれど、それが一つになったかのように感じたとしても、一つではないんだ、「共鳴している」だけだと。
これをお聞きして、かなり迷いが晴れた気がしました。若い頃、栗本慎一郎の「意味と生命」を読んで、さらにマイケル・ポランニーの暗黙知理論を学んで以来、どうも人があることに注目すると、それを細目とする全体を、いつの間にか意味を構成してしまわざるを得ない存在であるとき(アドラー心理学で言えば、まさに目的論ですが)、その先に、人が「X」というか「神」というか、そういう存在の細目になってしまう流れというのか法則というか場の力というものがある(エリアス・カネッティの群衆論にも接近しますが)のではないか、と考えていました。それで、どうがんばっても、やはり絶対的な存在というのか運命というのかを構成しているごく一部の存在になってしまわざるを得ない「人」の無力さを感じていたのですが、スマナサーラ先生のお話を聞いて、お釈迦さまは一つの独立した人として心として、そこを乗り越えられたのだと、それが仏教なんだと、人は絶対者にすがったり吸収されざるを得ない存在ではないんだと、勇気づけられたのを覚えています。
生命と生命とは、人と人とは、心と心は、共鳴します。だからこそ、できるだけ心を清らかにして、他の人の心を汚さないようにして、共鳴していきたいと思います。人は心を一つにして(共鳴し合って)戦争することも、戦争の荒廃状態からの復興もしてきた存在です。私たちはいつかはわかりませんが必ず死にます。だからこそ、自分たちの判断と行動を神とか運命に委ねるのでもなく、かといってエゴを追求するのでもなく、責任を持って互いに与え合う道、話し合って協力し合う道を選んで暮らしていきたいものです。そのための理論と思想がアドラー心理学であり、日本語話者にとってのその具体的な実践方法が「エピソード分析」です。
2月25日(日)直方市の「ユメニティのおがた」にて、エピソード分析講習会『日々是エピソード分析』を開催します。参加されるおひとりおひとりとの共鳴を楽しみにしています。この講習会が協力的な暮らしへの確実な一歩を踏み出す機会となりますように、精一杯務めます。
読んでいただきありがとうございます。
みなさまどうぞよい一日をお過ごしください。
生きとし生けるものが幸せでありますように。